05.絶望の淵から

債権者集会の説明で管財人から説明があった通り、数週間して借り上げ家賃がストップしてしまいました。
それとほぼ時期を同じくしてある電話がかかってきました。

突然の電話

冷静に考えると今から20年以上前の出来事なのですが、断片的に強:烈な記憶のいくつかは決して頭から消える事なく残っているのものです。
この時の電話も決して忘れる事のできないものでした。



電話の相手「もしもし、NIDOJUNさん、ですか?」

「はい–。どちら様でしょう」

電話の相手「ああ、私、XXリースの者なんですが、この度のXX社の問題によって、借り上げ家賃がストップしている方にお電話して今後のご相談があるかどうか確認させて頂いてまして–、とはいっても別に大した事はないんですが、返済のプランなどに関して弊社でお聞きできる部分は何かないかという事でご連絡しております」

「ええ–。でも、返済金額に関してはこれから管財人さんを通してご相談する事になるかと思いますが–」

電話の相手「ええ、それは勿論構いませんが、でも管財人さんもお一人なので、返済金額の交渉するのであればウチに直接交渉頂いても結構です。色々時間がかかっちゃうんで–。できれば今まで通り返してくれれば弊社としては何の問題もありませんので。そうしませんか?」

「はあ、じゃあ考えてみます」



言葉は非常に丁寧でしたが、こちらの返済状態を調べるために電話しているようでした。

この時は特に気にかけなかったのですが、後日別の不動産オーナーからこんな話を聞きました。

この方は最初にリース会社から連絡があった時に

「XX社の経営が行き詰まって勝手に家賃保証をストップされた。オーナーである自分に落ち度はないのでローンは払わない」

と答えたそうです。

するとその数日後、また電話がかかってきたそうですが、今度の相手は明らかにリース会社ではなく、いわゆる’取り立て屋’で、この時は散々脅された、との事でした。今まで借金取りに脅されるなどというのは自分に関係ない遠い世界の出来事のように思っていたのですが、間違いのない現実でした。

借金の恐怖

「近々、自分もローンは払えなくなる。そうなったら自分も同じだ」と思うと暗澹たる気持ちになりました。
「本当に何とかしなければ、このままでは数ヶ月で破産するかも」
借り上げがなくなった為、月あたりの持ち出し金額は5万円以上増え、自宅の家賃と合わせて24万円が無条件に消えていきます。

当時の私の手取りは30万円ちょっとでしたので、これだけでは到底
生活できない状態です。それまでの貯金と所得税の還付金を合わせて何とか補填しながら生活していましたがそのうち「国内物件の借り上げもなくなるらしい」という話を週刊誌で読み、「いよいよ終わりかもしれない」と追いつめられていました。

既にこの時点で日本の不動産バブルは完全に弾けており、地方のワンルームなどの価格は下落し始めていました。

仮に物件が売れたとしても、少なくない借金だけが残る、という最悪の状態になってしまいます。

有効な対応策も打てないまま、半年近くが過ぎ去った或る日、1通の封書がきていました。

救いのお手紙すら疑心暗鬼に

最初は何の手紙かも分かりませんでした。しかも国内から発送されている封書なのに、何故か宛先の私の名前がローマ字表記になっていた事も不信感に拍車をかけました。

今思うと笑い話ですが、当時は完全な疑心暗鬼状態になっており、面識のない人からの電話や手紙に対して異常な警戒感を抱くようになっていたのです。

手紙の差出人は全く面識のない人でしたが、’XX社の海外不動産を購入され困っている方にお知らせがあります’というタイトルに吸い寄せられ、夢中になって中身を読みました。

その中身は、’今回の一連の海外不動産の問題に対して、不動産会社とリース会社に対して集団訴訟を提起しませんか?’という提案でした。

’訴訟’’裁判’’係争’’法廷’、様々な言葉が頭の中を行き来します。

毎日が不安との戦いであった私にとっては、この局面を打開する為の唯一の方法だったかもしれません。

しかし結局その時は、私はその手紙に対する返信を書きませんでした。

理由はいくつかありましたが、最大の理由は’訴訟の為のお金’です。
当時の私は経済的にも極めて困窮状態にあり、数千円の出費であっても二の足を踏んでいる状態でした。そんな状態の時にいくらかかるか分からない訴訟費用を工面する事など到底できない相談でした。

もうひとつの理由は、これも私がまだ若くて無知だった事から出ていた勘違いなのですが、「裁判沙汰にするなんてカッコ悪い」という認識でした。

裁判というと、何やらテレビのシーンに出てくるような弁護士と検察の激しいやり取りがあり、さらには自分が法廷で証言台に立って訴訟相手の弁護士から厳しく追及され何も答えられなくて最悪泣き崩れるという、’世間に恥を晒す’という姿を勝手に想像してしまい、とても決断する事はできませんでした。

さらには「裁判をしている事が会社にばれたら解雇されるかも」などというとんでもない誤解もしていました。

こういった事情から私は結果的にはその申し出を無視していました。

とはいえそれ以外に有効な手立てを打てる術など当然なく、さらに数ヶ月がたったある日、再び封書がきました。

2度目のお手紙

中身を確認すると’本年11月に、皆さんと同じ立場の海外不動産オーナーの方4名が東京地裁に訴訟を提起致しました’という一文が目の前に飛び込んできました。

’遂に訴訟を起こした人がいる’という現実が私の心を揺さぶり、「自分も何かしなければ」という焦りにも似た感情が湧き上がってきました。

さらに手紙には以下の文章が続いていました。

「我々は訴訟を提起し、損害賠償を勝ち取ることが唯一未来を切り開ける手段である事を確信しています。しかし確実に勝利する為にはあまりにも力が足りません。海外不動産を所有しているオーナーの方が一人でも多くこの戦いに参加して頂ければ必ず勝てます。」

「裁判という事で’怖い’とか’面倒くさい’とか’お金がない’といった皆様の不安は色々あるでしょうが、これも訴訟の規模を大きくしていく事により解決できる可能性は高くなります」

「何の行動も起こさなければ決して何も変わりません。勇気を持って下さい」

特に’自分自身が行動しなければ、決して何も変わらない’という最後の文に今までの自分の心情を見透かされたようなショックを受けました。

そして’今年年末に川崎で訴訟の為のご説明を弁護士の方からして頂きますので’共に闘いたい’と賛同頂ける方は是非ご参加下さい’という文章を読んで心が決まりました。

決して目の前が開けた訳ではありませんでしたが、とにかく私は行動する(=訴訟する)決意をこの時固めたのです。



NIDOJUN

記者のプロフィール

NIDOJUN
NIDOJUN
兵庫県神戸市出身

現在、外資系IT企業で銀行系大規模プロジェクトのプロマネを本業とするかたわら、副業として国内不動産3棟(30室)区分所有1戸を経営するサラリーマン大家として活動中。

1988年に最初の不動産投資を行うが、国内物件と合わせて所有していた海外物件がバブルの崩壊と共に不良債権化、その後10年以上は大家としてのキャリアは空白となる。

2010年より再び不動産賃貸業を開始するが、最近加熱気味の海外不動産投資ブームを見て、かつて自分が失敗した体験を参考にして欲しいという思いがこみ上がり、アジア太平洋大家の会にてコラム執筆を決意。

また2011年夏から開始したブログでは不動産投資をはじめとしてネットビジネス、旅行、映画、ビジネスマインドなどさまざまなテーマで情報発信中である。

今後は’地域や時間に縛られない自由な大家業’というコンセプトで
’フリーエージェント大家’の実現を目指している。
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