03.バブルに浮かれ絶好調

訪問するにあたって、下調べなどは何もしていません。友人からの話と『マンションは1年で倍になる』という何の保証もない囁きだけで行動していたのです。
まずは不動産会社で『自分はどの地域のワンルームマンションを買えるのか?』を不動産会社の担当者に尋ねてみました。

渋谷のワンルームは3500万円なり~

「できれば都内とか関西の京都・大阪・神戸あたりにワンルームが欲しいんですけど」

担当者「いやーもう東京は絶対無理です。我々だってもう手が出せないくらい値上がりしちゃってます。これ見て下さい。この世田谷のワンルームいくらだと思います?3000万ですよ!渋谷なんて3500万以下のワンルームなんて殆ど宝くじ状態ですから」

「そ、そんなに高いんですか?」

担当者「あとNIDOJUNさんの購入候補は関西の3都ですけど、このあたりも東京の物件を諦めた人が大量に買いに入ってしまっているので凄い勢いであがっちゃってるんですよ。東京ほどではないにしても、2500万からと考えた方がいいですね」
ちなみに私の友人のU君はほどなく自分のマンションを2400万円ほどで売り抜ける事になります(京都の駅前とはいえ、20㎡以下のワンルームですよ!)
「じゃあ–。今から買えるところというのは?」

担当者「ズバリ第三勢力ですね。いわゆる東京、名古屋、関西3都の次に来るところです政令指定都市、100万人都市が次に来るのはもう決まっていますから」

「それって–。札幌とか福岡とか仙台とかですか?東京は今住んでるし、関西3都は元々出身地に近いから土地カンありますけど、それ以外の都市なんて下見に行くのも大変だし、第一土地カンもないし」

担当者「土地カンなんて関係ないですよ。だって実際に借り上げ契約したら入居者なんていなくても家賃入ってくるんですよ、関係ないじゃないですか。あと下見、って仰ってますけど、今どき下見なんかしてたらマンションは手に入らないですよ。」

「はあ、そうですか」

担当者「ちょうど先週販売開始された広島の駅前ワンルームがあるんですよ。これも2~3日で完売したんですけど、先日1戸キャンセルが出まして–。今日の午後から再販していい、という事になってるんで一斉に買い付けが入るのは間違いないです。これにしませんか?」

「価格はいくらなんですか?」

担当者「1600万ですね。西日本地区では関西3都を除けば福岡・広島が一番発展するでしょうね。ほら、この計画図見て下さいよ。今は近所が更地なんですけど、ここにそごうが建つ事が決まっているんですよ、そごうですよ、そごう。デパートが出店するところは必ず値段が上がるんですからこれを買わない手はありませんよ」
結局なかば強引なセールスに押し切られてこの広島のワンルームを購入する事にしました。

借入金額は約1550万円を20年ローン
金利は約5%
月あたりのローンは10万円強で、うち金利が60000円
月あたりの借り上げ家賃収入は48000円

つまり毎月50000円以上の赤字経営を始めた訳です。

今なら間違いなく破綻のパターンなのですが、当時は1~2年で手放すつもりでしたので殆ど不安などはありませんでした。

その頃はまだまだバブル状態で、実際にこの広島のマンションも3ヶ月程度で1900万円まで上がったのです。最初は信じられませんでしたが、綺麗な右肩上がりの曲線を示していました。全く落ち込む気配がありません。

U君の予言通りに短期間でのキャピタルゲインの可能性を確信した私は、全く元手のない状態で次の物件を探していました。

「とにかく買えば買うだけ儲かるんだ」と盲信状態に陥っていたのです。

早く次の物件を、と心は焦るのですが、当時は割安で買える国内物件など殆ど販売されていない状態でした。土地の値段が高くなりすぎて、不動産会社もなかなか手当てができない状態となっていたのです。

ゴルフが好きな方なら覚えているかもしれませんが、かつて’日本一高い’と言われた小金井カントリークラブのゴルフ会員権が約4億円になったのもこの頃でした。

1989年の中ごろ、広島の物件を購入した不動産会社の担当者から電話がかかってきました。

もう海外しか買えない

担当者「最近はいい物件見つかりましたか?」

「高すぎますよ、よく知ってるじゃないですか」

担当者「確かにそうですね。でもNIDOJUNさん、視野をもっと広げないとダメですよ。これからは海外不動産の時代ですから」

「え?海外不動産?」

担当者「もう国内物件は高くなりすぎて、さすがに今から購入するのは旨みが少ないので今後わが社は海外不動産を中心にする方針なんですよ。いかがですか?NIDOJUNさんも海外物件買いませんか?」

「海外–ですか?海外の不動産って良く分からないんですけど買えるんですか?」

担当者「勿論ですよ、我々が売るんですから。但し海外物件の場合はホテルとかコンドミニアムとか、ショッピングセンターですけど。でも賃貸の仕組みは全く同じなので国内物件と同じように買ってからは何もしないでいいですよ、値上がりを待って売るだけですから」

「海外かあ、同じように上がるんですか?」

担当者「当然上がりますよ、我々としては、最初はハワイ、次がアメリカ本土、次はオーストラリアで売っていきます。早く始めた方がとにかく勝ちですから、やるんならまず最初のハワイから買って、それから本土かオーストラリアを買って下さい。2年ほどしてから売れば3000万程度はお釣りがくるはずですから」

「夢が広がりますね、じゃあ今度説明してもらいますよ」

担当者「NIDOJUNさん、次まで待ってたらなくなりますよ、今日説明しますからすぐ決めて下さい。多分ハワイはあっという間に売り切れますよ」

さすがにこの日の購入はしませんでしたが、記憶ではこの物件の購入も2~3日かからず購入してしまったはずです。

借入金額は約1400万円を25年ローン
金利はさらに跳ね上がり約8.1%
月あたりのローンは11万円強
月あたりの借り上げ家賃収入は45000円

毎月の赤字は65000円となり、広島物件と合わせて月あたりの赤字は12万円近くになりました。

当時の私が借りていた三鷹のアパートの家賃は60000円、光熱費が約10000円でしたので不動産の赤字分を合わせるとこれだけで月あたり20万円が必ず出ていく状態になっていました。

当然ながらまだ平社員だった私の給料では、かろうじて残業代で生活費を捻出している状態で貯金などは全くできない状態でした。それでもこの時はまだ「1~2年後には少なくとも2000万円くらいはキャッシュが手に入るんだから」と固く信じて疑いませんでした。

また確定申告では海外物件を手に入れた最初の年は、所得税が全額還付され、実質的な納税額は0円となりました。

この状態が続けばしばらくすれば楽になるはずでした。

このハワイの物件を購入して3~4ヶ月あとになってから、サンディエゴのホテルの運営権利を買わないか、という話や、ほぼ同時期に’老後の終の棲家’としてオーストラリアのマンション購入の話などもありました。しかしこれらについては価格が高かった事と、たて続けの購入になる為、さすがに思いきる事ができず購入はしていませんでした。

なんとなく違和感を感じたその頃

この頃から徐々にではありますが状況が変わってきた事を肌に感じていました。

  • 国内物件の新規販売が殆どなくなり、海外物件の話や小口金融商品の話ばかりが来るようになった。
  • 物件の売り出し価格が総じて割高になっており、当時の金利(8%前後)を前提とすると月当たりのマイナス金額が大きくなってきた。
  • 新規の販売金額が高くなってきている一方で、取得済みの物件の価格が上がらなくなってきていた。

今まで殆ど何の不安もなく物件を保持していましたが、さすがに一抹の不安が頭をよぎるようになりました。

しかしながら、その時はまだ1991年夏のあの衝撃の朝を迎える事になるとは夢にも思っていませんでした。

NIDOJUN

記者のプロフィール

NIDOJUN
NIDOJUN
兵庫県神戸市出身

現在、外資系IT企業で銀行系大規模プロジェクトのプロマネを本業とするかたわら、副業として国内不動産3棟(30室)区分所有1戸を経営するサラリーマン大家として活動中。

1988年に最初の不動産投資を行うが、国内物件と合わせて所有していた海外物件がバブルの崩壊と共に不良債権化、その後10年以上は大家としてのキャリアは空白となる。

2010年より再び不動産賃貸業を開始するが、最近加熱気味の海外不動産投資ブームを見て、かつて自分が失敗した体験を参考にして欲しいという思いがこみ上がり、アジア太平洋大家の会にてコラム執筆を決意。

また2011年夏から開始したブログでは不動産投資をはじめとしてネットビジネス、旅行、映画、ビジネスマインドなどさまざまなテーマで情報発信中である。

今後は’地域や時間に縛られない自由な大家業’というコンセプトで
’フリーエージェント大家’の実現を目指している。
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