02.NIDOJUNの不動産投資のきっかけ

私が1棟単位で投資を開始したのは2010年からですので、
「1棟もの」という点ではまだまだ駆け出しです。
しかし、実は私の大家としてのキャリアは1988年から始まっています。
最初は地方のワンルームマンションをほぼフルローンで買いました。
その時は、少なくとも1~2年単位で1戸ずつマンションを買い増して2000年までには10戸ほどのマンションを所有するという青写真を描いていました。
しかし–。
1991年夏から私のマンション投資は突然ストップします。
いや、正確にはストップせざるを得ない状況に追い込まれる事になったのです。
あの頃なにが起こったのか?
物語はそもそも私が不動産投資をするキッカケとなった友人からの誘いまでさかのぼります。
1988年末、時はバブルの真っ盛り
当時サラリーマン生活をしていた私は、漠然と給与以外の収入を効率よく得られる手段を探していました。
当時の日本はまさにバブルの真っ盛り、映画の「バブルへGO!」の世界でした。会社も潤い、社員への待遇も考えられないほど良く、何の根拠も無しに
「この状態がずっと続く」
と誰もが大きな勘違いをしていました。
しかし、仕事は激務を極めました。とにかく仕事が次から次へと発生し、全員が毎日残業また残業の繰り返しでした。私にしても、家に帰るのは週に2日程度、あとは毎日会社の隣のホテルで寝泊りしてそのまま会社に行く、という生活を繰り返していました。タクシーチケットは2冊程度は常時持っていましたが、周りの人に適当に配ったり、タクシーを使って自宅に帰っている時間が惜しかったりして自分ではあまり活用していない状態でした。
当時は冗談でもなんでもなく、会社の名刺をフロントに預ければ、オークラ、オータニ、全日空などのホテルに宿泊できたのです。
そんな状態が延々と続き、すぐに仕事をやめるつもりはないものの、
「何とか副収入を得ていつかは会社をリタイヤできないか」と常に考えていました。
社員への待遇も極めて良く、と書きましたが、それは歩合給で働いていた
営業職にのみあてはまる事であり、技術職であった私の場合は残業代こそ
青天井ではあったものの、給与体系は固定給であった為、まさに自らの体力と時間を会社に切り売りしているようなものでした。
「こんな生活を続けていたらいつか必ず体を壊してしまう。そうなってしまってからでは遅い」という恐れを常に感じながら日々の業務をこなしていました。
丁度その頃、中学時代の友人から数年ぶりに連絡を貰い、里帰りした神戸で久々の再開を果たしました。
仮にこの友人をU君としましょう。
U君「久しぶり、元気にやってる?」
私 「うーん、仕事は好調だけど忙し過ぎていつも疲れてるよ(笑)」
U君「体壊したら意味ないって。仕事はそこそこにして遊ばないと」
私 「まあ遊びたいけど、今は残業代も青天井で出るから稼げる時に稼がないと」
U君「それじゃあダメだね、もっと効率良く稼ぐ手段見つけないと」
私 「偉そうに–。大体お前何か副収入貰ってる訳?」
U君「まあね、お前、マンション投資知ってる?」
私 「マンション投資?」
バブル流!(あの頃は正しかった)マンション投資の手法とは?

この時から、私のマンション投資がスタートするのです。
今から思えば転落への第一歩だったのですが、その時の私には知る由もありませんでした。
当時の私はあまりの激務の為に、副収入を得たいと考えてはいたものの、その為の情報収集は全くできていない状況でした。友人が話した「マンション投資」にしても、言葉くらいは知っていましたが実際にどうやるのか、などといったスキームについては完全に無知でした。
そんな私に友人は得意満面で「マンション投資」の仕組みなるものを伝授してくれました。
彼の教えてくれたマンション投資とは以下のようなものです。
- まずできるだけ大都市にワンルームマンションを購入する。マンションは中古でも新築でもいいが、今は新築がドンドンできているので新築にすればいい。頭金は大体50~100万円程度で買える。最悪10万円程度でも購入できる。あてがなければ自分が不動産会社を紹介してもいい。
- 買ったマンションを賃貸に出す。但し実際には借り手は探す必要はない。いわゆる’借り上げ制度’でマンションを売ったところとそのまま賃貸借契約をすればいい。
- 家賃は大体金額が決まっているので気にしなくてもいいが、月ごとの収支は必ず赤字にする事。
私 「え、赤字じゃ毎月持ち出しになるじゃんか?」
U君「それでいいんだよ、家賃収入を赤字にしておいて確定申告で所得税の還付を受ければマイナス分はそのまま戻ってくるんだから」
私「なるほど、でもそれじゃあ差引ゼロのままじゃないか?何の為に投資するの?」
U君「お前、全然分かってないねえ。マンションなんて1~2年で売り払うものじゃんか。2年もすれば2倍以上で売れるんだからその分まる儲け、って事だよ」
私「へー、そんなうまくいくのかな?で、お前の買ったマンションはどうなってるの?」
U君「去年京都のワンルームを1000万で買ったけど、1年足らずで既に2000万になっているから、あと半年くらいして2200~2300万くらいで売るつもり」
私「なるほど、凄いね。俺も早く富裕層にならなくちゃ」
今から考えたらウソみたいな会話ですが、本当の話です。
・20㎡以下のワンルームマンションが2000万円!
・毎月収入が赤字になるように家賃設定する!
・マンションを賃貸するが、実際の借り手はいなくてもいい!
本来のマンション経営を真っ向から否定するようなあり得ない経営手法でしたがこれがサラリーマンの投資手法としての一角を担っていた事は間違いありません。
そしてこのようないびつなマンション業界の構図に対して、当時異を唱える人は殆ど皆無でした。
とにかく何かが狂っていたとしか思えません。
しかし当時、この好景気がずっと続くものと信じて疑わなかった私は、U君との会話の数日後に不動産会社の訪問をしていました。
NIDOJUN
記者のプロフィール

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兵庫県神戸市出身
現在、外資系IT企業で銀行系大規模プロジェクトのプロマネを本業とするかたわら、副業として国内不動産3棟(30室)区分所有1戸を経営するサラリーマン大家として活動中。
1988年に最初の不動産投資を行うが、国内物件と合わせて所有していた海外物件がバブルの崩壊と共に不良債権化、その後10年以上は大家としてのキャリアは空白となる。
2010年より再び不動産賃貸業を開始するが、最近加熱気味の海外不動産投資ブームを見て、かつて自分が失敗した体験を参考にして欲しいという思いがこみ上がり、アジア太平洋大家の会にてコラム執筆を決意。
また2011年夏から開始したブログでは不動産投資をはじめとしてネットビジネス、旅行、映画、ビジネスマインドなどさまざまなテーマで情報発信中である。
今後は’地域や時間に縛られない自由な大家業’というコンセプトで
’フリーエージェント大家’の実現を目指している。
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