08.弁護士の方が教えてくれた事
その後も引き続き、数回の裁判、オーナー集会が行われていましたが、その当時は全体に重苦しい空気が漂っていました。
理由は「裁判に勝てる兆しが見えない」この一点につきます。
みるみる減っていく傍聴者
前回のコラムで「初回の裁判に期待度120%で臨んだにもかかわらず、実際は極めて地味な裁判の進行にがっかりした」といった事を書いていたかと思いますが、他のオーナーも同じ気分だったのでしょう。私も含めて徐々に東京地裁の傍聴から遠ざかり、原告団の参加者はみるみる減っていきました。
そのような状況の中、1993年も終わろうとしているある日、’緊急提言’といった主旨で(実際の手紙のタイトルは違っていたかもしれませんが内容は同じようなものでした)海外不動産オーナー宛に弁護団から臨時集会のお知らせがありました。
訴訟中という事でローン支払いもストップしていた為、正直、当事者意識も薄れつつあり、若干マンネリ化していた状態であった為、「面倒くさいな」と感じながらも川崎の産業振興会館に足を運んで行きました。
しかしそこで、弁護士の方から一気に目の覚めるような強烈なメッセージを貰ったのです。
目を覚まさせられた、弁護士から一喝
「このままだと負けますよ、皆さん!」
会場でいきなり弁護士の方から言われました。
「一体誰の裁判なんですか?皆さんのなんですよ、何故裁判所に傍聴に来ないのですか?訴訟を起こしている側の原告が裁判の傍聴に来ない事によって裁判所や裁判長がどのように感じるか、考えた事はないのですか?『ああ、この原告団は全て弁護士任せだ、結局自分の問題として真剣に取り組んでいないのだ』などと思われても不思議じゃないんですよ!
裁判長だって人間なんです。熱心でない原告に対しては情熱も薄れますし、正直身が入らないリスクだってあるんです。こんな状態で弁護団だけが頑張っても結果は期待できないですよ。
もっと真剣に取り組んで頂きたい。」
普段は温厚な代表弁護士さんからの強烈なクレームで、100人近く会場にいた原告団はシーンとなってしまいました。確かに私も含めて、’弁護士任せ、成り行き任せ’のような状態になっていた事は事実であり各々そのような空気を感じ取っていた割には危機感もかなり欠如している状況でした。
しかし、’敗訴→最悪自己破産’という重い現実が再び目の前に突き付けられた事により、原告団全体で「何とか裁判を有利に進めていく為の活動計画を立てよう」という提言がなされました。しかしながら、活動計画を立てるにしても、どのような行動が有効なのか皆目見当がつきませんでした。
すると引き続き弁護士の方から、「弁護団の方で今後の具体的な活動計画と原告団の皆さんにお願いしたい活動案をまとめてきてありますので評価して下さい」という話がありました。
原告団は、人数こそ多くいますが裁判に関しては所詮は素人の集まりです。従って計画立案に窮するであろう事をあらかじめ見越していた弁護団の方が活動計画まで考えていてくれたのです。
本来は当事者である我々が主体的に考えるべき事を弁護団の方が行ってくれている、という現実を目の当たりにして猛反省させられました。
しかし、弁護団の方から出された’今後の活動計画’を見て、原告団には大きな動揺が走りました。そこには全く想定外の事項が書かれていたのです。
第二弾訴訟で超有名企業を訴える!?
その活動計画の内容は概ね以下のようになっていました。
1.弁護団は、現在の訴訟を第一弾訴訟と位置付け、新たに第二弾訴訟を提起する訴訟対象は以下の4企業
A社 B社 C社 D社
2.弁護団は、今回の訴訟に関する新たな判例として金融機関の責任を追及すべく、渡米して現地の状況を確認、アメリカ側の弁護士と連携を取りながら事態の解決を目指す
正直言って最初にこの内容を見たときは「何これ?意味不明だし」と思いました。
当然ながら、原告団の中からも同様の疑問が次々に出されました。
「何故、第二弾訴訟を提起するのですか?」
「第二段訴訟の対象企業は何故この4社なのですか?」
「何故弁護団はアメリカに渡るのですか?」 などなど–。
これらの疑問点に関してそれぞれ弁護団から説明がなされました。
1.何故、第二弾訴訟を提起するのか?
2.第二段訴訟の対象企業は何故この4社なのか?
「弁護団の調査の結果、A社~D社までの4社は、一連の海外不動産販売において、企業提携という名目で販売活動に参画していた事実が確認されている。実際には、販売面での全面協力というふれこみで、1戸あたり数%の利益供与を受けていた可能性が出ており、第一弾訴訟の対象企業と同様、係争の対象とすべきと判断した。」
何故弁護団はアメリカに渡るのか?
「実はアメリカ本土で今回の不動産取引の被害を被った個人が、不動産会社ではなく、バックファイナンスを訴えている、という情報が飛び込んできた。日本ではまだ実績が全くないが、アメリカでは’レンダーライアビリティ(貸し手責任)’という呼称で1980年代より複数の訴訟ケースがある。我々の方でも貸し手責任を追求していく事により、被害回復を大きく実現化させる事ができるかもしれない。但し、この考え方はまだ日本ではその概念が浸透しておらず、ましてや訴訟実績は皆無の為、極めて困難な戦いになる事は間違いない。まずはアメリカでの訴訟内容を現地で詳細に確認し、日本での裁判での戦術に取り込む為現地の弁護士と打ち合わせを行う」
該当の4社については実名は明かせませんが、誇張でも何でもなく日本を代表する超一流企業ばかりでした。正直言うと、私にとっても学生時代には憧れの的であり、日本人であれば老若男女誰でも知っているはずの企業ばかりでした。
仮に今回の不動産取引に関わっていたのが事実であり、不当に利益を得ていたとしても、世間一般の人の反応については、「こんな超優良企業を訴える方がおかしい」という意見が噴出するであろう事は容易に想像できました。
しかも第一弾訴訟の対象企業などとは比べものにはならないほど、財力・法的処理能力が高い事は推して知るべしであり、訴訟行為などは明らかに無謀である、と思われました。「これじゃあ被害救済どころか自殺行為じゃないのか?」殆どのメンバーがそう考えたはずです。
しかし我々の懸念、ビビった様子を見透かしたように弁護士の方は言いました。「貸し手責任の追及と第二弾訴訟を提起する事こそ被害回復への起死回生の手段であると考えます。というよりもこの訴訟が提起できなければ被害回復は限りなく難しくなると考えて頂いた方がいいです」
こうまで言われては原告団としては決断する他はありません。一旦各々がこの提案を引き取って熟慮の上、後日大多数の原告がこの訴訟を提起する事に同意しました。
その一方で最終的にはこの訴訟に参加しない原告も少なからず存在しました。その理由は「そもそも自分が勤めている会社である」「直接勤務している企業ではないが、同じグループ企業に所属しており、普段からかなり世話になっている」といった裏事情を抱えている人達がおり、さすがに自分の会社を訴える事には二の足を踏まざるを得なかったのです。
この4社のうち、2社は銀行であった為、’この銀行から住宅ローンを借りている’’自分は関係ないが、夫がこの銀行から融資を受けている。訴訟なんか起したら何を言われるか分からない’という苦しい状況を訴えた方もいた、との事です。
最終的に一部の原告の方を除いた多くのメンバーは1994年6月に第二弾訴訟を提起しました。係争が2つになった事により、その後裁判の数は急激に増えていきました。ほぼ1ヶ月内に2回のペースでかなりの過密スケジュールで進んで行きました。
係争の観点は大きくいって下記の点でした。
1.第一弾訴訟で、今回問題となった海外不動産については、元々の価値が販売価格を大きく下回るものであったにも関わらず、家賃保証を設定して大量の購入者を集めた。しかし実際の収益については不動産会社がうたっているレベルには最初から達していなかった。この穴を埋めるために、不動産会社は
さらに他の海外不動産を販売してそこで得た利益を保証家賃に回すという、いわゆる’自転車操業’状態に陥っていた。
物件購入にあたっては大部分のユーザーが通常の銀行ローンではなく、不動産会社の関連会社と位置付けられたノンバンクから融資を受けていた。しかしこのノンバンクは単なる関連会社ではなく、該当不動産会社の100%子会社であり、経営陣もほぼ不動産会社と同一のメンバーが行っていた。
つまり、今回被害の対象となった海外物件の本来の資産価値や、家賃保証を前提としてそれらの物件を大量に販売する事による将来的な経営に及ぼす悪影響、経営不振に陥るリスクを十分に知り得る立場にありながら、ほぼ無審査でローンを貸し付けていた。これらの経営構造から考えた場合、今回の破たんによりオーナー側の利益の源泉となる家賃保証は打ち切られ、100%子会社による融資に対する返済のみが存在し続ける事に対しては’今回の契約は家賃保証と融資が一体となった契約である’という考えに則った場合に無効とできるのか否か?
2.第二弾訴訟の被告側企業についてはいずれも日本を代表する著名な企業であるが、そのうちの一社は第一弾訴訟の被告企業のバックファイナンスであると同時に長年に渡って深くその経営に関与してきた。今回の複数の海外不動産の販売にあたって、該当企業はその収益構造を十分に知り得る立場にあり、当時既に利益が十分に上がっていない物件を’家賃保証’をセールストークとして次々と大量販売する事による将来的な経営リスクを十分に検知できる立場にあったにも関わらず、その経営を許容してきた。
さらに物件の販売にあたって、「共同事業パートナー」という名目であたかも共同販売のようなふれこみでパンフレット等に名前を掲載し、販売実績数に応じて一定割合の収益を得ていた。またその他の3社の被告企業についても、共同販売という名目で名前を貸し、販売実績に応じて多額の報酬を受け取っていた。
第一弾訴訟の被告企業の経営状況についても十分に知り得る立場にあり、実質的に経営に対する影響力を行使してきた。日本ではまだ判例がないが、アメリカ合衆国の裁判の中で実績が出始めているバックファイナンスに対する’貸し手責任’としての追求が可能か否か?
いずれも今までの日本の裁判では原告側勝訴の判例がなく、特に2.の貸し手責任追及に関してはその用語がようやく出始めたばかりの状況であった為、裁判回数は急激に増えたものの、審議はなかなか進展しませんでした。
傍聴人の人数で原告団のやる気を見せたら...
しかし原告側の我々も今までと同じような弁護士任せの姿勢では勝利する事は不可能、という点については強く感じていた為、傍聴参加人数は大きく増加し始めました。「とにかく原告側のこの裁判にかける熱意を裁判所が感じ取ってくれるか否かで裁判の行方は大きく変わります」という弁護団の忠告に従って、チーム分けを行って持ち回りで必ず数十人が傍聴できる体制にしました。
確かに傍聴席が埋め尽くされていると被告に対するプレッシャーも強くなり、裁判所の対応も違うようでした。
しかしそうはいっても第二弾訴訟の相手企業は4社もあります。また第一弾訴訟と第二弾訴訟は、実質的には同じ性質のものである、という判断のもとに、途中からは同時に行われるようになりました。
第一弾訴訟しかなかった時には被告側の弁護士は2名、対してこちら側の弁護士は5名と、数でも相手を圧倒していました。
しかし4社が新たに被告企業として加わった事で、相手側の弁護団は一挙に10名となり、こちらの倍に膨れ上がりました。今までとは立場が逆転したような感覚になり、裁判所での傍聴も緊張したものとなりました。
原告団の我々は、相手弁護団の数に圧倒され、「本当に大丈夫なのか?」と不安に感じながら傍聴をしていたのですが、その一方で原告側の弁護団には全く焦燥感などといったものは見られませんでした。
後に明らかになるのですが、実はこの時点で原告側弁護団の方にはある’確信’があったそうです。しかし当時の原告団ではそのような事は知る由もありませんでした。 (つづく)
NIDOJUN
記者のプロフィール
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兵庫県神戸市出身
現在、外資系IT企業で銀行系大規模プロジェクトのプロマネを本業とするかたわら、副業として国内不動産3棟(30室)区分所有1戸を経営するサラリーマン大家として活動中。
1988年に最初の不動産投資を行うが、国内物件と合わせて所有していた海外物件がバブルの崩壊と共に不良債権化、その後10年以上は大家としてのキャリアは空白となる。
2010年より再び不動産賃貸業を開始するが、最近加熱気味の海外不動産投資ブームを見て、かつて自分が失敗した体験を参考にして欲しいという思いがこみ上がり、アジア太平洋大家の会にてコラム執筆を決意。
また2011年夏から開始したブログでは不動産投資をはじめとしてネットビジネス、旅行、映画、ビジネスマインドなどさまざまなテーマで情報発信中である。
今後は’地域や時間に縛られない自由な大家業’というコンセプトで
’フリーエージェント大家’の実現を目指している。
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