10.そして8年、闘争は終わった

証人尋問は1998年より合計3回が行われ、計13名の人間が証言を行いました。この中での争点は主に以下の部分でした。

■1.構造的詐欺性について
海外不動産の共有持分権ならびに区分所有権の販売にあたって、被告側企業はオーナーに対する賃料保証を謳っているがそもそも該当物件の資産的価値、ならびに収益性に関しては極めて低い状況にあり、その事実を認識した上で大量の販売を行っていたのではないか?という点

この点に関しては原告側の主張は「販売側が販売価格を設定する上での判断材料としていた物件の鑑定書に関しては、その作成年月日から判断するに(物件販売の直前であったり販売後に作成された鑑定書まであり)そもそも融資目的の為のデータ提供の為に作成されたものにすぎず、その信用性に関しては著しく低いものと判断せざるを得ない」というものでした。

一方の被告側企業の言い分としては「そもそも事業を行うにあたって、一定期間の赤字を想定の上、事業展開を行う事は企業活動においてあり得る」「実際に販売物件の収支が販売価格にそぐわないものであり、最終的に事業が破綻、最悪倒産という事態になったとしても、販売者側、賃料設定者側にあくまでも『故意』がなければ詐欺には当たらない」というものでした。

要約すれば、「購入者を騙そうとしていた訳ではなく、結果的に騙してしまった形になったが意図したものではない」という事になります。

■2.提携金融機関の共同責任
証人尋問における極めて重要な部分になります。
原告側の主張は、「XX会社のローンで購入の手続きを行ったが、該当のリース会社は不動産会社の100%子会社であり、役員も同じとなっていた。当然ながら不動産会社の経営状態を十分に知りえる立場にあり、収益性の低い海外物件を連続販売していく事による不動産会社の収益性低下→経営継続の困難、を認識しながら多額の融資を継続して行っていた可能性が極めて高い」というものでした。

対する被告側企業の言い分としては「経営上の破綻は決して長期間に渡って懸念されていた訳ではなく、急激に経営状態が悪化した事による結果である。破綻を予見しながら融資を継続していた事実はない」というものでした。①の主張部分にも共通する点ですが、要は「破綻が明らかな状況で意図的な融資は行っていない」という事です。

しかしこの部分については、当事者である不動産会社が倒産の1年以上前の中間決算から粉飾決算をしており、業績悪化の中で継続して商品を販売していた事が明らかになりました。さらには原告側が依頼していたリース会社の元社員の方が証人尋問において「まさか経営が破綻することまではとても予想はできなかったが、不動産会社の経営が苦しくなっている状態は認識しており、その後も物件販売、融資を継続していた事には不安があった」と証言した事により、流れが一気に原告側に傾きました。

ギクシャクしだした被告団

この頃になると、裁判の継続に消極的になっていたD社は益々被告側で孤立し始め、原告弁護団-D社弁護団での法廷外での交渉も頻繁になってきていたようです(さすがにこの部分は弁護士の方からは明らかにされていない為、あくまでもこちらの想像なのですが)勿論被告企業側でも何人かの証人が証言を行いましたが、既に裁判の決着に対する思惑が各企業間でずれてきてしまっていた為、結果的には原告に対する強力な反論を打ち出せない状態で証人尋問は終了する事になりました。

また、大きな山場となった証人尋問の後半の頃からは、裁判所(裁判長)の発言トーンも明らかに変わってきました。つまり「双方の了解による和解」という方向に大きく誘導し始めたのです。

裁判を経験した事のある方であればご存知かとは思うのですが、実際世の中で行われている裁判で最終的な決着(つまり判決)に至るケースは決して多くはなく、通常はある程度の方向性が見えてきた時点で「お互いに傷が深くならないうちに」裁判所が和解を促しはじめるのです。裁判は長期に渡るケースが多いですが、時間がかかればかかるほど費用も積み重なり、双方が疲弊し始めます。

裁判長は裁判を進行していく中で「いかがですか?ここまで方向が見えてきている以上、そろそろ和解しては?」という提案を原告・被告に提案し、お互いの納得のいく形で裁判を終えるという役目を担っているのです。
ましてや今回の裁判においては、後半になって被告側企業の足並みがバラバラになり、各々の主張レベルが統一性を欠き出していた為、裁判所としても「このあたりがいいタイミングではないか」と判断したのだと思います。

弁護士はタフ・ネゴシエーター

少し話が逸れますが、裁判を経験した事により、弁護士に求められる非常に重要な能力がひとつ明らかになりました。それは「ネゴシエーション(交渉)力」です。考えてみれば、弁護士は常にネゴシエーションを行っています。法廷においては裁判所や裁判長と、法廷外においては相手側弁護士や証言を依頼する証人と、さらには自分の雇い主である原告や被告と–。まさに「タフ・ネゴシエーター」です。

今回の訴訟においても1998年後半から、双方の弁護団による『タフな』ネゴシエーションが始まりました。
・被告企業側は詐欺性を認めるのか?
・被告企業側は残債務をどのように扱うのか?(全額放棄? 一部放棄?)
・原告側は訴訟を取り下げるのか?
などなど—。

大量の原告団、さらには被告側も複数いる為、この和解交渉は難解を極めました。何といっても1998年12月から2000年4月末までかかったのです。
何と1年半弱です。この間には被告側の一部企業の「当事者能力欠如(経営難)」といった想定外の事態も発生した為、より混迷を極めた訳です。

一体この1年半、どのような交渉が行われていたのか?

非常に興味深い部分なのですが、実はこの部分については一切公式記録がありません。
いや、記録はあるのですが、正確には当係争上の取決めとして「和解交渉における詳細内容の公開は一切禁止」という取決めがなされているのです。
ちなみに、当事者である我々原告にも、詳細内容は明らかにされていません。

従ってここでは、最終的に発表された和解内容のみを以下に記載します。

1.被告側リース会社は一連の海外物件に関する残債務を全額放棄する(150億円弱)
2.さらに被告側企業は、原告側に対して和解解決金を支払う(8億円弱)
3.原告側は第1弾及び第2弾訴訟を取り下げる

調整期間としては1年半弱もかかり、非常に長い不安な状況ではありましたが最終的な決着は原告側にとってはベストなものとなりました。
一方、被告側企業としては、和解判決の文章の中に「詐欺」という文言が盛り込まれていない、という部分において社会的な信用部分を失する事にはならず、長期に渡って体力を擦り減らしていた裁判を終える事ができる、というメリットがありました。

上記の内容に関しては実際に和解が成立した翌日に複数新聞で記事として取り上げられた為、目にされた方も多いかもしれません。

過去にも同様の訴訟はいくつかケースがあったのですが、通常は和解においては借り手(物件のオーナー側)が残債務の一部金額を支払う事によって決着していた事が殆どであり、借り手側の残債務が全額免除となった事はそれまでには例がありません。

銀行の「貸し手責任」が提示された画期的な和解

さらに重要な事は、残債務が全額免除になったという事で、リース会社に対して融資を行っていたバックファイナンスに対して、それまで日本では前例のなかった「貸し手責任」を裁判所が提示し、最終的に銀行側がこれを認めた、という部分があります。
ある意味この部分も当時としては「画期的」と言えるのかもしれません。

このようにして、1988年から始まった私の不動産投資は、1991年の不動産会社の破綻、1992年の訴訟という通常とは少し違う(笑)経緯を辿りながら、2000年4月に一旦終了を迎えました。

以上ここまでが私の「海外不動産投資失敗の記録」です。

裁判を経験したNIDOJUN流「海外投資の心得」

この裁判が終わった後で私が何を考えたか?

「正義が認められて良かった」— いいえ
「悪い業者に引っかかってひどい目にあったな」— いいえ

正直言って「全て自業自得」これが心境でした。

確かに購入した不動産の提供会社が突然破綻し、想定外の事態に遭遇した、という一部「不幸な」部分もありますが、それもこれも全て「身から出たサビ」だと思うのです。

不動産会社にしてもリース会社にしてもバックファイナンスにしても、最初からオーナーを騙そうとしていた訳では決してなく、最終的に望まざる結果となっただけです。

そもそも物件を購入するにあたって、購入者側が

・事前に十分調査して
・一部の人の話を鵜呑みにしないで
・他人任せにしないで

慎重に行動していれば、ここまで被害が大きくなる事はなかったと思います。当時の私は上記3つの点に関して、いずれも反対の事をしていました。
確かに当時は今のようにインターネットが一般的ではなく、情報の入手方法が限られていた事や、日本人の多くがバブル景気の為に冷静な判断力を失っていた、という側面はあります。

しかしながら一方で、当時でも慎重に行動して、苦労の末に情報を入手し、結果として手堅く利益を上げていた不動産投資家が多数存在していた、という事も厳然たる事実としてあるわけです。

要は「いついかなる時でも十分な勉強と慎重な判断、そして一旦決断した後の大胆かつスピーディーな行動」といったものは時代に関係なく我々が心しておかなければいけない事だと思うのです。

そういった基本をないがしろにしてしまっていた私にとって法廷闘争の8年間というのは、自らの不勉強・甘さが招いた非常に長いペナルティボックスだった、というのが実感です。

しかしながら、通常では得難い経験をさせてもらった事も事実です。要は今後の活動に生かしていければいいわけです。

当コラムの初回を1年ほど前に書いたと思うのですが、その時はコラムの中で「海外における投資先としては、フィリピン、マレーシア、タイなどのアジア新興国が注目されている」と書いていたかと思います。

ところがそれからわずか1年後の今は、「海外投資先はこれからはミャンマー、カンボジア、ラオス、モンゴルなど」と言われたりしています。
明らかに熱を帯びています。見方によっては「過熱気味」とも言えるかもしれません。

繰り返しますが、上記の状況が全て良くない、と言っているわけではありません。見方によっては大きなチャンスともいえます。
但し投資が過熱している今だからこそ、オーナー各自が「自分の判断基準を持ち、自分の目で確かめ、リスク分散を考え、最終的に自分自身で決断する」という至極当たり前のアプローチが絶対に必要である、と考えているだけです。

騙されない第一歩は、、、徹底して勉強すること!

「アジア太平洋大家の会」は「海外投資はリスクが必ず伴う、だからこそオーナー各自がしっかり勉強し、相互に情報交換を行い、できる限りリスクを分散させた投資スキームの元で皆が成長しましょう」という活動趣旨を掲げている珍しい団体です。
決して情報の一方的な発信ではなく、会員各々が情報を享受し、時には提供するという双方向の場が提供されています。

私がわざわざ自分の過去の失敗をコラムにして公開しようと思ったのも、そういったアジア太平洋大家の会の運営方針に共感したからです。

幸いな事に昔と違って現代は情報が溢れています。さらにはその情報を的確にフィルタリングしてくれる受け皿としての団体もあります。何よりも共に成長・発展を目指している仲間が身近に沢山います。

何やら最後は「アジア太平洋大家の会」の宣伝のようになってしまいましたが、仲間と共に勉強できるという恵まれた環境に置かれている、という事に感謝しつつ、今後とも海外投資を通して自分自身が成長していければ、と思っています。     (完)

NIDOJUN

記者のプロフィール

NIDOJUN
NIDOJUN
兵庫県神戸市出身

現在、外資系IT企業で銀行系大規模プロジェクトのプロマネを本業とするかたわら、副業として国内不動産3棟(30室)区分所有1戸を経営するサラリーマン大家として活動中。

1988年に最初の不動産投資を行うが、国内物件と合わせて所有していた海外物件がバブルの崩壊と共に不良債権化、その後10年以上は大家としてのキャリアは空白となる。

2010年より再び不動産賃貸業を開始するが、最近加熱気味の海外不動産投資ブームを見て、かつて自分が失敗した体験を参考にして欲しいという思いがこみ上がり、アジア太平洋大家の会にてコラム執筆を決意。

また2011年夏から開始したブログでは不動産投資をはじめとしてネットビジネス、旅行、映画、ビジネスマインドなどさまざまなテーマで情報発信中である。

今後は’地域や時間に縛られない自由な大家業’というコンセプトで
’フリーエージェント大家’の実現を目指している。
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