04.とうとう損切りしました、、、
前回のコラムの続きで最終回となります。
授業料としては少々高くつきましたが(涙)、私の海外不動産投資家デビューの幕切れをお届けします。
納税者番号の取得
一軒目は空き家のまま既に半年以上経過していましたが、そんな中、管理人Mr.Gから納税者番号 ITIN を取得して提出してくださいとのメールが来ます。
管理業務をする上で義務づけられているから早く出してください、と言われて慌てて検索します。外国人が納税する際に必要になるこの納税者番号の取得方法は、アメリカの税務当局であるIRSに申請書とパスポートを提出するらしいのですが、まさかパスポートを送るわけにもいかないので、日本国内の公証役場でパスポートを公証してもらい、アメリカ大使館に持っていきました。これは費用もかかりますが、大使館の受け付け時間が限られていますので、なかなか大変でした。
何とか書類を揃えてアメリカの会計士に送りましたが、うまくいかないケースがあるときいていたので心配でしたが、しばらくして会計士さんからの、珍しく感情的に、納税者番号が取得できたよ、と嬉しそうなメールが来たときはホッとしました。
遠隔大家といえども意外に手間をとられますね。英文メールのやりとりやら、小切手での支払いやら。この間いよいよ私の家庭が法的に分裂することになり、またまた公証手続きや法的処理、自分自身の引っ越しと、家探しも重なったものですから、家のpc環境が整わない中、近所のコンビニから国際ファックスをやり取りしている時には本当にくたびれました。
またまた請求書が来た!
強制退去から9か月後の2012年9月、Gからのメールで、「Good news で入居者がはいるかも」とのことでしたので、放置されていた家を綺麗にしましょう、鍵を付け替えて、外しておいた蛇口やパイプ、シンクを戻す作業費用が470ドルです。
まぁ、仕方がありません。
同じ頃エージェントのエージさんからは、管理会社の変更が通知されました。「こんどの管理会社Mは管理物件数が多い会社で管理体制もきちんとしていますよ。物件状態を綺麗にしてから貸し出す方針なので、修繕費がかさむかもしれません。もし、他の管理会社を希望する人はご自分でどうぞ。保険会社もグループとして変更するので、それも希望があれば、自分で好みの保険会社を探してください」と言われます。
そもそもMr.Gの仕事ぶりに不満を感じていましたし、自力で管理会社や保険会社を見つけられるあてもなければ、英語力もありませんから、管理会社変更の書類にサインして送るしかありません。保険料は1軒、一月$50。どうやら管理物件が増えすぎて、Mr.G独りでは手がまわらなくなり、Gの高齢のお母さんまで管理業務に駆り出されていたのがいよいよ限界になり、Gは廃業します、という主旨の説明がエージさんからなされました。
管理会社の廃業で2回目の変更へ
2012年10月に管理会社は変更、Gからは業務契約終了の知らせと、テナントが入居しました、というメールが来ました。それまでのフレンドリーな態度が一変、なんだかひどく儀礼的な冷たいメールでした。
テナントが入居したのは嬉しいのですが、新しい管理会社M社からなかなか明細書がおくられてきません。
2012年11月、1250ドル、修繕費用の請求が来ます。
おかしいなと思っていますと、エージさんから一斉メールです。M社に業務が移行されると、これまでの不備が多々見つかったため、洗いざらい見返しているので明細書の発行が遅延しています。との経過報告を受けて「あぁ、そういうことね」
更に日本人オーナー達からの問い合わせをさばききれなかったため、担当者が入れ替わったりして、と待つこと3ヶ月。
歳が明けて2013年1月。滞納です。今回は悪質で、1円どころか1ドルも入金がありません。慌てて新管理会社のM社に問い合わせると、このテナントは3カ月以上の滞納で、1913.01ドル、更にデトロイトシティへの水道代418.34ドルも未納とのことでした。ちなみにまたまた知らない間に家賃は575ドルに減額していました。さらにM社が言うには、M社の家賃回収のスペシャルチームをもってしても回収できませんでしたので、強制退去の手続きを踏むなら400ドルです。とのこと。
滞納で裁判へ
3月19日 テナントが裁判所に出廷するはずの日ですが、姿をみせませんでした、とM社の担当からメールがきました。もうこの頃には裁判関係の英語をだいぶ覚えられるようになりました。3ヶ月以上滞納していることが判明してから、更に3ヶ月してから裁判ってどうなの?と。
さすがに私も嫌になってきて、長期保有どころか「もう手放したいんです、売りたいんです、」とエージさんに訴えたところ、「買い手が居れば売れますが、難しいと思いますよ」との冷たい返事でした。更にエージさんは、「綺麗に修繕して、テナントが入った状態じゃ無いと売れないと思いますよ、売るにしてもご自分で業者に問い合わせて下さいね」
今にして考えれが当たり前ですよね、買い手と売り手がいて市場が成り立つわけですから。それなのに私は、買いたいときは買って、売りたいときは売れる、いつでもエージさんに言えばいいやと、この期に及んでまで誤解していたわけです。
もちろんこの間も固定資産税は払います、1200ドル
テナントが出ていくと家はボロボロ。修理代2700ドル。
空き家になったら忘れちゃいけないのがboard up 念入りに1300ドル。
2013年4月、桜散るころ、M社からメールが来ます。
妙に丁寧な言い回しでしたが要するに、 この物件はこれ以上 hold する価値は無いと思われるので、 walk away したら?と書いてありました。
管理会社に物件を手放したい方がいいとまで言わせて初めて目が覚めました。
せめて修繕してboard up する前に言ってくれれば、とがっくりきましたが、もうこれで悪夢のような請求から開放されると思うと正直救われた気持ちでした。
それにしてもほとんどお金をうみださなかった家に、あまりにも多くの修繕費と維持費がかかったので、なんともやりきれませんでした。
「こんなことになっちゃいました」とこのメールをエージに転送すると、「地域の治安が悪化したんですね、残念でしたね、前の管理人Gに相談して、保険会社に全壊扱いで、申請してもらったらどうですか」というのです。今まで払い続けてきた保険の事を思いだした時は、太陽が指したようでしたね。
「私の方からメールしておきますが、Gは仕事が遅くて直ぐ忘れてしまうから、請求については定期的にご自分でリマインダーをしてください」
なんて親切なえーじさん、やっぱり好い人だったんだわ、もう英語が苦手だなんていってられません。Gにメールをしまくります。2週間、一月、何の返事もありません。彼の管理会社、保険事務所、Skypeまで何度も連絡しました。現管理会社M社の担当者にも相談しましたが、Gからの insuranse coverage を待っています というものでした。エージさんに相談すると、
「警察届けはM社がするべきなので、それをしないのは、この被害が故意に破壊行為が行われたかどうか、器物損壊にあたらない、ということなのでは? Gが反応しないのは、それが自分の仕事ではないからです。それがアメリカ人ですから」
アメリカ人って無視する人種なの???
私にしてみればとにかく判断するのは保険会社なんだから被害届をだしてほしい、と半年以上GとM社に訴えたのですが、とうとうアクションはありませんでした。
どうなんでしょう、凶悪犯罪都市デトロイトでは、保険金目当てで火をつける場合も多いようですので、私のボロ家が少々壊れても、通常の使用から生じる範囲の破損だったんでしょうか、今でもこれが残念ですし、一体誰が協力的してくれたら保険請求できたのか、納得できないままです。
謀らずもデトロイトに財政援助し続けてしまいました。
この経験は私にとっては「いい勉強になりました、高い勉強代でした」と言えるほど軽いダメージではありません。
今思うのは。。。
建築物自体の価値、そして特にデトロイトの場合に重要な立地、(これはストリートを挟むと全く違う条件になるんだと言うことを後から知りました。)そこに入居するテナント、現地の管理会社、この組み合わせで不動産投資が形成されるか思いますが、私の場合どれも納得いくものでありませんでした。
本当に当たり前のことなんですが、やはり勉強不足でした。
現地で自分の目で確認すること、コンサルタントに確認すること、具体的なケースを想定して、アフターケアは誰がどこまでやってくれるのか、という契約の確認、契約が履行されなかったときの担保の確認、これらの最低限のことですら、私は全くしていなかったわけです。不動産は買う時より、持ち続ける期間の方が長いわけですから、買ったあとの事が大事ですね。時には損切りする勇気も必要かもしれません。
その後、2014年春、最初に購入した物件のテナントが退去したのを機に、私の海外不動産大家業は静かに幕を閉じました。
(その後の処理も大変! 余りに悲惨なのでここには書けませんわ)
何か参考になればいいと思い、情けないお話をさせていただきました。
成功者に学んで、皆様は海外不動産投資を楽しんでくださいね。
同じような目に遭われた方ともお話する機会にも恵まれましたが、ホント、皆さんたくましい! “米ミシガン州の連邦破産裁判所は2014年11月7日、デトロイト市の財政再建計画を承認した” とのニュースもYahooで見ましたが、デトロイトはこれから変わっていくのでしょうか、期待を込めて見守っていきたいと思います。
また桜の季節が巡ってきました、どうか皆様の願いがかないますように、心よりお祈り申し上げます。
どうもありがとうございました。
で・とろい子
記者のプロフィール
- 1993年に中央大学法学部を卒業後すぐ、結婚・出産。結婚相手の会社で名ばかり役 員をしながら育児に専念するも、放漫経営によって家計も家庭も破綻。資格取得を目指すなど身の振り方を模索するなか、競売不動産投資で成功する方達に触発され、海外に夢を求めて2011年の震災後にデトロイトに物件を購入。格闘技を見るとなぜだか血が騒ぐ、懲りない大家。
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